昨日,上海からもどりました。今回は科研プロジェクトの活動で,復旦大学で一日ワークショップを共催し,中国近現代リベラリズム研究の現状と課題について,中国側とじっくり話をしてきました。充実した報告が並び,有意義な交流になったと思います。会議の内容はまた別に紹介することにして,印象深かったことを一つだけ紹介しておきましょう。それは,文献資料の大規模なデータ・ベース化や電子ファイル化が進展していることにともなう,中国の学術環境の大きな変化です。ご存じのように,多くの基本資料がすでにCD-ROMやDVD等のメディアで電子化され,さらにネット上では多種多様なデータベースが構築されています。近現代史研究であれば,
CADALはいまや必見でしょう。
驚くべきことに,さまざまな雑誌や書籍が簡単に画像で閲覧できるばかりか,ダウンロードや印刷すら可能になっています。研究論文であればCNKIにはずいぶんとお世話になっていますが,いま進められつつある資料の電子化は新聞・雑誌などに及び,予想以上の規模と速度で進みつつあるようです。たとえば,以下のHPでその一端がうかがえます。
http://www.library.fudan.edu.cn/eresources/ebook.htm
今回の会議でお世話になった復旦大学のZ先生の話では,いまやほとんどすべての資料が電子化され,ネットで見られるので,図書館に行く必要はなくなったとのこと。やや誇張がありますが,上海図書館で下記のデータベースを見つけて納得した次第。
http://ipac.library.sh.cn/ipac20/ipac.jsp?profile=#focusfocus
ここの「近代文献期刊目録」は,1833年から2008年までの刊行物を対象に目次をデータベースにしたもので,キーワードで検索をかければただちに関連する項目がヒットする仕掛けになっています。清末の歴史であれば,『中国近代期刊篇目彙編』全3巻6冊をまず見るというのがオーソドックスな方法でしたが,当該サイトはこれを完全に葬り去ってしまうほどのものです。登録すれば必要な該当ページまで飛び,しかも電子ファイルを自分のメールアドレスまで送ってくれるサービスもあるらしい。ただ残念なのは,このデータベースは公開でなく,国内の図書館や大学など限定された端末からしかアクセスできないことです。中国に行かれる皆さんには,一度アクセスされることをお勧めします。
もちろん,研究者や院生にとっては資料が簡単に集まり「すぎる」こともまた別の問題になるでしょう。Z先生も,近代史研究では,資料が近くにない,あっても閲覧・複写出来ない,などのいいわけは完全に通用しなくなったと言っていました。とすれば,皆が共有できる当たり前の資料をいかに広く,深く読むことが問われる時代になったということでもあります。一部の档案資料をのぞき,誰もが多く広く資料を共有できる状況は,学問の民主化であり,また自由競争の激化なのでしょう。「平等」をめぐるトクヴィル的問題が,ここにも露呈してきたようです。(村田雄二郎)