日時:2008年7月12日(土曜日)
場所:アジア・アフリカ言語文化研究所3階大会議室
(http://www.aa.tufs.ac.jp/location_j.html)
共催:科研費補助金・基盤(A)「17-20世紀の東アジアにおける“外国人”の法的地位に関する総合的研究」(研究代表者・貴志俊彦@神奈川大学)
基盤研究(B)「ロシア帝国と「東北アジア」の成立―国際関係史の立場から―」(研究代表者・中見立夫@東京外国語大学)
「戦後」ということばが一般に使われなくなって久しくなります。そして「戦前」への記憶も、すでに記憶をもつひとびとが少数派となってしまいました。そのようななかにあって、戦前の「満洲」つまり現在の中国東北地域に関しては、日本人の記憶から忘却されるどころか、近年ますます、さまざまな角度から関心が寄せられているのは、なぜでしょうか。しかし「満洲」に対して、ことさら関心をいだくのは、日本人ばかりではありません。社会主義体制崩壊後のロシアにおいても、「満洲」への記憶がよみがえり、若い世代のあいだでも関心が高まっているのは興味ふかい現象といえましょう。ロシア人(在外ロシア人もふくめて)のあいだで「満洲」への関心は、ハルビンという、ひとつの都市の存在へおおむね収斂されている感があるようにおもえます。
しかしハルビンは、決して中国人、ロシア人、そして日本人のみが活動する街ではありませんでした。たとえば20世紀初頭、ハルビンでは中東鉄道庁の支援のもとで、モンゴル語新聞が発行され、モンゴル人のあいだへ時代状況を伝えています。その編集者のひとり、内モンゴル出身のハイサンは、モンゴルの独立運動で重要な役割を演じ、外モンゴルに成立したボグド・ハーン政権の高官となっています。またハルビンにはタタール人のコミュニィティーがあり、タタール語による出版もおこなわれていました。20世紀における日本の言語学研究を代表する学者で、アジア・アフリカ言語文化研究所創設へも寄与した、服部四郎はハルビンでタタール人の美少女とであい結婚しています。ハルビンは蜃気楼のごとく登場した「アジアにおけるロシア人の街」であったばかりではなく、むしろその異種混交性、ハイブリッドな性格にこそ、都市としての特色がみいだされます。今回の「研究セミナー:ハルビン―異種混交の街―」では、まさにこの問題に焦点をあてます。
プログラム
《午前の部/10時半~12時半》:
司会:江夏由樹(一橋大学)
1)Igor Saveliev(名古屋大学)「第一次世界大戦期の中国人移民―ハルビンにおける契約労働者の募集及び帰国問題と中東鉄道の役割―」
2)上田貴子(近畿大学)「商工業者からみる哈爾濱の中国人社会」
お昼休み
《午後の部/14時~18時》:
司会:中見立夫(アジア・アフリカ言語文化研究所)
3)インターラクション/研究情報交換の場:ハルビンへのまなざし/
生田美智子(大阪大学)、澤田和彦(埼玉大学)、Joshua Fogel(ヨーク大学)
司会:西山克典(静岡県立大学)
4)Larissa Ousmanova(島根県立大学), 「ハルビンにおけるロシア系ディアスポラの民族コミュニティ:タタール人コミュニティを中心にして」
5)中嶋 毅(首都大学東京)「満洲国時代のハルビンのロシア人高等教育」
司会:貴志俊彦(神奈川大学)
6)Olga Bakich(トロント大学), “Russian life stories at Harbin after the end of WW2 viewing from my own experiences”
*なお資料作成部数の確認のため、御参加いただける方は、必ず中見立夫(tnakami@aa.tufs.ac.jpあるいはFax.042-373-8576)まで、御連絡ください。
**当日は土曜のため、AA研正面玄関は閉鎖されております。参加予定者へは、入所方法を御連絡いたします。
***懇親会(会費5000円程度)に御参加いただける方は、あわせてお知らせください。