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2007年 05月 04日
「ローカリズムとグローバリズムの往還──”地域”への問い」(後期課程案内──地域文化研究学科,村田雄二郎)
(前略)とはいえ,一歩引いて,われわれにとって「地域」とは何か,「文化」とは何か,また「地域文化」をどのような方法で理解するのか,という根本的な問いかけが放棄されるわけでは決してありません。むしろ,そうした問いかけの中にこそ,研究のアルファとオメガが存すると言ったほうがよいでしょう。 このことを,いま私が関心を持っているチベットというひとつの「地域」にそくして,少し具体的に考えてみたいと思います。 世界地図を開くと(賢明なるみなさんは開かなくてもご存じだと思いますが),ヒマラヤ山脈の北側に広がっている,高原地帯を中心とした地域がチベットです。国別の色分けでは,現在,中華人民共和国の一つの地方行政区(チベット自治区,TAR)となっています。そこには,かつて「世界の秘境」と称されたように,雄大な山脈や湖沼・森林・草原などに囲まれた景観,「神秘的」で濃密な仏教文化の伝承,生活に息づいた信仰と自然との共存,などのイメージが付着しています。また,近代以降,国際政治の係争地となったことや,中国の「侵略」により,最高活仏ダライ・ラマが亡命し,人権問題や民族問題が争点化している事態に関心を寄せる人々も少なくありません。 チベットに関するそうしたイメージや了解が,まったくの錯誤だというつもりはありません。また,既存の語りや表象を通じて,「他者」への関心が高まることにも,わたしはべつに反対しません。むしろそのほうが自然でしょう。 ただ,そうした関心や憧れや憂慮の念をもって,「チベット」という「地域」の「文化」について,こんにち何ごとか積極的で生産的な言明を立ち上げようとするとき,われわれの標榜する「地域文化研究」的な諸問題がたちまち浮上してくるのです。そもそもチベットという「地域」を空間的・領域的に,どのように設定し定義するか? 実は,これが大問題なのです。 先ほど「チベット自治区」のことを言いましたが,インドに本拠地を置くダライ・ラマ亡命政府は当然,これを中国の押しつけであり,勝手な線引きであると非難しています。行政区分と民族的・文化的圏域がずれるのは,言ってみれば世界の常態ですから,一定の理があると思います。 けれども,それに替えてかれらが「われわれチベット」の聖地だと主張する空間には,アムド(東北チベット,中国の青海省・甘粛省・四川省などの一部)やカム(東南チベット,中国の雲南省・四川省の一部)が含まれます。そこにチベット人が多く居住してきたことは確かですが,多くは民族混住区で,漢人・モンゴル人・ムスリムほか,あまたの民族がこの「大チベット」には含まれます。また,チベット内部には,いまでも意思疎通が困難なほどの方言差,地方主義的排他性が存在しています,将来,万一「大チベット」独立が達成されたとしても,そこに新たなマイノリティ問題や民族問題が生じることは間違いありません。 実のところ,少し歴史を遡って見ればわかるように,中国に対抗するチベット・ナショナリズムがあらわれたのはそう遠い昔ではありません。私の見方では,それはまさしく二〇世紀「国民国家」時代の産物にほかならないのです。その意味で,中国ナショナリズムとチベット・ナショナリズムは双生児の関係にあるといっても過言ではないでしょう。われわれはチベットをめぐる国際政治上の「紛争」を,あらめて「地域」という視点から,近代ナショナリズムの「病理」として見ることも可能なのです。 これ以外にも,チベット「民族文化」の担い手は,ヒマラヤ山脈を越えて,ネパール・インド・ブータンなどにも広がっています。当然そこには,ヒトやモノや情報の長い交流の歴史があります。さらに,一九五〇年代以降,中国の支配を嫌って国外に亡命・移住したチベット人も,欧米・日本を含めた世界各地に散在しています。こうした人々の存在を視野に入れれば,空間的なチベットの広がりは,さらにグローバルなものとなります。しかも,チベッタン・ディアスポラ(離散民)とでもいうべき集団は,先進国の生活水準・文化を享受しながら,他方で高度情報社会の中,「祖国」との関係を強め,伝統的アイデンティティを再構築しつつあります。ローカルな文化とグローバリズムの結合,これも地域文化研究にとっての新たな課題です。 さらに,ローカルな伝統文化と言っても,それが決して固定不変の実体ではないことを,地域文化研究のさまざまな事例は,歴史学・文学・社会学・哲学・政治学・人類学などの隣接諸学科と協働して,明らかにしてきました。実際,われわれの行った現地調査でも,中国の市場経済化の奔流が及びつつある最近のチベットで,いま起こりつつある巨大な社会経済面の変化は,「宗教復興」という現象ひとつとっても,伝統と現代,神秘主義と合理化,精神と物質,支配と抵抗というなじみの二分法ではとうてい解釈できぬ複雑なプロセスであることを,多くの事例を通じて確認しました。たとえば,お寺という聖なる空間が,人々の信仰の活きた実践の場として復権しつつあると同時に,グローバルかつナショナルな観光開発による資本蓄積の場にもなっている事態を前にして,既存の解釈枠や理論は必ずしも納得のいく説明を与えてはくれません。そこにこそ,インターディシプリンを標榜する地域文化研究の出番があるのだと,私は考えています。 以上,チベットの話ばかりしてきましたが,当然,われわれの学科にとって研究の対象となりうる「地域」はほかにも山ほどあります。また,「チベット」を別の固有名に置きかえても,グローバル時代の問題構造に共通性はありますから,比較研究を進めてゆくことも可能でしょう。さらに,「地域」は創られるもの,研究者の視点によって絶えず更新されるものだ,という言い方にしたがえば,研究の対象とテーマは無尽蔵にあるのだと言えます。 さてさて羊頭狗肉。「地域」のことばかり申し上げて,肝心の「文化」の話をする紙数がなくなりました。続きは進学後に教室で,また。(『教養学部報』2007年5月号)
by jindaizhongguo
| 2007-05-04 00:30
| ゼミ情報
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