食在広州。今回もまた昼・夜の別なく,広東料理のごちそう続きで,「口福」三昧の日々だった。その中で,ホストが出された料理に文句をつける場面に二度ほど出くわした。主賓そっちのけで,(むしろ主賓がいるからこその「メンツ」?),味が悪いだの,注文と違っているだの,口さがない。私を招いた広東人のワン先生は,「クラゲの頭を頼んだのに,これは海蟄皮ではないか!」と本気で怒りだし,フロアマネージャーを呼びつけてひとくだり説教し,皿を代えさせ,それでも気が済まず,最後は知り合いの総経理まで謝りに来させた。座は一瞬しらけたようにも見えたが,在席の同僚はいつものワンさんがまたかという感じで,ひやかし半分である。ゲストの私はといえば,ワン先生の真剣な表情がおかしくもあり,またそのストレートな感情表現が少々うらやましくもあった。少しもいやな感じがしなかったのは,ワン先生の人徳であろう。
一般に,中国人は料理の出来・不出来,うまさ・まずさをその場で率直に口に出す。店員にクレームをつける場面にも,これまで何度も遭遇した。皿を取り替えさせたのも一回や二回ではない。逆に,料理がすばらしかった場合,ホスト(あるいはゲストだったか)は自ら厨房に出向いて,料理人をほめねぎらうのが礼儀だ,とどこかで読んだ気がする。そういえば,中山大学の学内レストランでは,出てくる料理の皿に厨師の名前を記した小さな紙片が貼ってあったっけ。個人責任制ということになれば,作り手も気を抜けないわけだ。中国の食はいつも真剣勝負である。
改革開放初期は,レストランも少なかったが,客の文句もほとんどなかった(ように思う)。その理由は単純に,食べる(消費する)ほうよりつくる(生産する)ほうが偉かったからだろう。私見では,毛時代,生活する上で決して逆らっていけない相手は,厨師と司機であった。かれらの機嫌を損ねたら,飯も食えず,家にも帰れないからだ。実際,私は大学内で知らない人のいないさる老教授が,あるわがままな「師傅」の前で唯々諾々,じっと我慢の子であったのを目のあたりにして,社会主義革命の「遺風」を肌で感じたことがある。1983年夏の北京でのことである。
脱社会主義の「静かな革命」は,テーブルにならぶ山海の珍味においてのみならず,客と店のミクロな関係変化にもあらわれている。(村田雄二郎)