足立信彦『<悪しき>文化について』,東京大学出版会,2006年6月,269頁,3800円+税,ISBN:4-13-010101-3
国民統合やエスノ・ナショナリズム(民族)をめぐる問題は結局のところ,内部においても,また外部との関係においても,「多」と「一」の関係をどのように考えるかの一点に尽きるのではないだろうか。
多様性と単一性。アメリカ合衆国が掲げる“E PLURIBUS UNUM”しかり,中華民族の「多元一体格局」(費孝通)またしかり。
著者は本書で,序列化を回避するような多様性のありかを問う。「多様性を多様性として享受できるのは,王の視線を持つものだけである。・・・多様性を享受する視線は,多様性を構成するものたちとは次元の異なる「権力」の視線であり,さらに言えば,「美的」権力の視線なのである。」
では,権力による序列化を回避するような多様性の認識はいかにして可能なのか? それを著者は多様性を「生きる」と表現する。(起源の)単一性への確信をもちつつも,しかし/しかも多様性を擁護すること。「一」と「多」との危うい綱渡りにも似た緊張関係を「生きる」こと。われわれの身体に染み着いた「権力」の視線(文明/野蛮,先進/落後,真正/不純etc.)を超える狭い道を,著者はドイツ思想のテクスト解読を通じて模索する。
多文化主義は,今日的民族・宗教「紛争」を考える上で,結論とは決してなりえない。むしろその出発点なのだ。(村田雄二郎)