『中国研究所月報』698号,2006年4月,50-51頁。(抜粋)
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最近,個人情報保護の行き過ぎではないかと感じたのは,某大学の大学史料室を訪ねたときのことである。窓口の係の方は,非常に丁重に応接してくださったのだが,開口一番,学内の個人情報保護の規定により,従来開放していた史料が場合によっては公開できなくなった,という。そこで,公開を決める基準をたずねてみたのだが,いまだ細部を検討中なのか,口頭説明を聞いただけでは不得要領であった。
われわれは,清末の留日学生を多く受け入れた大学(ということは革命党人を輩出した大学でもあるということだが)であるがゆえに,かれら留学生に関する文書を調べに来たのであるが,公開の可否は目録にしたがって請求したものを検分して決める,という。よくわからないまま,とりあえずいくつかのファイルを請求すると,大きなダンボール箱を保管庫から持ち出してきた係員が,向こうのテーブルでやおら箱を開くと文書を一件一件と点検しはじめた。何のことはない,その場で公開の可否を決めているのである。しばらく待っていると,ファイルに入った文書の束がこちらに届けられる。閲覧許可だという。この作業が繰り返されること数回・・・。
公文書館や史料館を使ったことのある方なら理解いただけるだろうが,文書の閲覧はある意味で時間とのたたかいである。限られた条件の中で,研究課題にとって意味ある史料を見つけるためには,効率よく文書を借り出し,それを手際よく閲覧し,必要な箇所は手写・複写しなければならない。ところが,館員が現場でまず検分をはじめるのでは,閲覧にいたるまでの時間がかかりすぎる。その間待っているわれわれはいいとして,係員もほかの仕事が全くできなくなる。実際,訪問を予告してあったとはいえ,われわれの闖入により,担当者は午前中いっぱい,ほんらいの業務に集中できなくなった。われわれも大量の文書を見るためには,日を改めて出直さなければならなくなった。なんという非効率!
私は,最初は静かに待ち,やがてイライラし,最後は笑いがこみ上げてくるのをおさえるのに必死であった。なぜなら,われわれの求めている文書に出てくる個人はみな,一世紀も前の物故者だからだ。著作権もとうに失効しているし,遺族や関係者から財産権をめぐる訴訟を起こされるような心配もない外国人である。それでも,係員の言い分にしたがえば,生死を問わず,個人のプライベートな情報は保護の対象になる,とのこと。たしか個人情報保護法では,死者はその範囲に含まれていなかったはずでは・・・。
係の方は親切で,疑問には誠実に答えてくれ,請求した史料も,スローペースながら,結局ほぼ閲覧全部することができた。しかし,百年前の留学生の学業や生活の実態をつぶさに記した文書が,個人情報保護の名のもとに公開不可になるとすれば,歴史研究にとってはゆゆしき事態である。現代史であればなおさらだろう。
個人情報のうち,何が保護され,開示されるべきか。歴史研究者としても,線引きの基準について,一定の理解とコンセンサスをつくるべき時機ではないか。