张玉萍《戴季陶与日本》 中文版面世
張玉萍『戴季陶と近代日本』中文版序
戴季陶は複雑で多面的な顔をもつ近代中国の政治家であり思想家である。新聞記者,孫文秘書,中国国民党の重鎮,日本論者,中山大学学長,反共理論家,「新アジア主義」の提唱者,そして蒋介石の盟友……。その複雑さや多面性は,そのままかれが生きた近代中国という時空間の複雑さや多面性につながる。その意味で,戴季陶を理解することは,近代中国を理解するための重要な一つの手がかりを提供するにちがいない。
しかし,戴季陶の多面性や複雑さは,種種の理由から,その歴史的役割にふさわしい注意と関心を払われてこなかった。日本でも中国でも,既往のさまざまな歴史叙述の中で,かれに適切な居場所が与えられてきたとは言い難い。かれの死後すでに幾星霜を閲しているにもかかわらず,である。
おそらく,戴季陶という人物を抜きにして,ある種の中国近現代史を語ることは可能だろう。だが,戴季陶という視座を導入することにより,これまでのわれわれの視野狭窄は是正されるだろうし,一歩踏み込んで歴史の現場に接近するための手がかりが得られるに違いない,と思う。
例を挙げよう。1920年代に戴季陶が構想した国際戦略に,孫文の「大陸同盟」を継承した「民族国際」がある。国際連盟とコミンテルン(共産国際)に対抗すべく,東方民族結集の第三の軸として出された「天下三分策」である。その「三国志」的な発想の下,同盟の相手にソ連やドイツが入っていたことは興味深い。内政では強烈な反共を唱えた戴季陶も,当時はソ連との一定の連携を考えていたのである。また,のちに蒋介石政権が対独接近策を講じるプロセスを考え合わせると,中独関係から見た国民革命のもう一つの相貌が浮かび上がるのではないか。
さらに,九・一八事件後,かれが日本の中国侵略に対抗して打ち出した「新アジア主義」がある。その連携対象には,インドや朝鮮・台湾などの植民地が含まれていた。李大釗の新アジア主義が,日本の膨張主義を批判する左翼インターナショナリズムの立場であったとすれば,戴季陶の新アジア主義は,民族自立の理念の上に,西北・西南開発(辺政)という政治課題を重ね書きした,より現実的に即した開発戦略であった。それが,今日の西部大開発といかなる思想的水脈でつながっているのか,一九四九年前後の歴史的連続性を考える上でも,意味深い事例となるだろう。
張玉萍博士は,大学院修士・博士課程を通じて,一貫して戴季陶研究に取り組んできた。その集大成とも言える本書では,戴季陶の日本観が精密に分析され,かれの生きた時代における日中両国の錯綜した諸関係を彷彿とさせる。
戴季陶の日本論の核には,日本人の精神生活が強固な「信仰」によって成り立っているという前提がある。それが神国思想となって国民的規模にまでひろがった点に,かれは近代日本の強さと弱さを同時に見ていたわけである。蓋し卓見と言えよう。戴季陶の日本理解に,中国の他の日本論者には見られぬ奥行きと広がりがあることは,従来も指摘されてきたが,張博士は本書で,その日本観の変化と特質を通時的に考察することで,
──「知日」でありながら決して「親日」ではなかった。
──「反日」でありながら決して「嫌日」ではなかった。
と要約しうる,新たな戴季陶像を描き出すことに成功している。
日本「平民」に期待をしつつも,最後には軍国主義を支持する日本人を目の当たりにして失望と幻滅を隠さなかった戴季陶の苦悩は,今日においてこそ味読するに価するだろう。その苦悩は同時代の日本人が共有すべくして,竟に共有できなかったものである。日中関係の過去を省察し,未来を展望するためにも,多くの中国の友人に本書を翻読してほしい。
2012年9月
東京 多摩にて
村田 雄二郎