一橋大学大学院社会学研究科 地球セミナー
日時: 2014年12月17日(水) 午後4時半~6時
会場: マーキュリータワー3405(一橋大学 東キャンパス 国立駅南口 徒歩7分)
講演題目: 『高倉健はなぜ文革後の中国で国民的スターに成り得たのか』
講演者:晏妮(アンニ,一橋大学外国人客員教授)
講演内容: 先日逝去された高倉健は、日本において映画界のみならず、人々から尊敬されている、数少ない名優の一人である。1978年、高倉健の主演による映画『君よ 憤怒の河を渉れ』(1976、大映・永田プロ)は、文革後の中国で初開催の日本映画祭に出品、その好評により、やがて中国全土で公開される(1979)運びになった。日本映画として大量に製作される多くの娯楽作の一本に過ぎないこの作品は、中国で前例のないヒット作となり、ある調査によれば、当時、10億国民の約八割の人がこの作品を見たという。
この異例の文化現象とも言える史実は、現在ほぼ忘れられている。しかし、高倉健の逝去を契機に、再度両国のマスコミによって大々的に報道され、日中国交正常化以降、最悪の状態に陥った両国関係に、一抹の光を見出すようなニュースになっている。とはいえ、高倉健をはじめ、山口百恵、中野良子、宇津井健、栗原小巻、吉永小百合などの俳優及び彼ら(彼女たち)の主演による日本映画が、なぜ文革後の中国で広く支持され、中でも殊に高倉健がなぜ中国人スターを凌ぐ人気を博すことができたのかについて、社会史あるいは映画受容史から行う重層的な研究は、ごくわずかな例があったものの、まだ決して十分とは言えない。もちろん、この現象の発生を単に高倉健の人柄の良さに帰結するような美談だけでは、とうてい解析できないのは言うまでもない。
本報告は、文革後の中国の文化空間をふまえて、高倉健とその他の日本俳優の主演作の中国における受容の実態を明らかにし、戦後の中国で発生したこの第二の日本映画ブームを1950年代の最初の日本映画ブームと比較しつつ、高倉健現象を歴史化しようと試みる。また高倉健と山口百恵を中心に、スターの表象とそのプライベートな身体が二重的にも文革後の中国に介入し、大衆社会に浸透していくことによって、社会文化がどのように変化したのか、それまでの中国ジェンダー秩序がどのように揺れ動いたのか、その後の中国映画の発展にどれほど影響を与えたのかに関して多元的に検証し、高倉健は中国で国民的スターになった様々な原因を究明したいと思う。