このたびチベット仏教界の重鎮として知られるアジャ・リンポチェが来日されるのを機に,駒場で交流の機会を持つことにしました。近刊の自伝
Surviving the Dragon (2010)をめぐってお話をいただく予定です。みなさまの来聴を歓迎します。
演題:クンブム僧院からインディアナまで──
Surviving the Dragonをめぐって── (通訳有り)
コメンテータ:大野 旭 教授(静岡大学)
日時:2012年5月25日(金)16:30-18:00
会場:駒場キャンパス18号館4階会議室(コラボレーションルーム1)
※終了後オープンスペースで懇親会(会費2,000円程)をしますのでこちらのご出欠のほどを含めまして下記までご連絡願います。
連絡先:宮原(miyahara.yoko[at]mail.u-tokyo.ac.jp)
Arjia Rinpoche プロフィール
モンゴル人のチベット仏教高僧。「リンポチェ」とはチベット語で「宝玉」を意味し、チベット仏教の転生活仏への尊称。ダライラマ、パンチェンラマが属するチベット仏教最大宗派ゲルク派の開祖でチベット仏教の大改革者、ツォンカパの父Arjia Danpei Gyaltsenの第21代の転生者とされ、モンゴル人、チベット人を問わず広く慕われている。ゲルク派6大寺院のひとつクンブム僧院(中国名:塔尓[タール]寺)僧院長。1950年チベット北部アムド地方(現・中国青海省)のモンゴル遊牧民の家に生まれる。2歳でアジャ・リンポチェの転生者と認められ、クンブム僧院で厳しい修行を開始。しかし1958年以降中国政府により宗教改革が行われすべての僧侶が労働に従事することを余儀なくされ、当時8歳のリンポチェは中国の学校で普通教育を受けることになった。1966年まで政策変更に伴うなかで仏教を密かに学ぶ機会にも恵まれた。しかし1966年に始まった文化大革命により16~30歳の十数年間、再び寺院を追放され強制労働を強いられた。1980年以降の緩和政策でクンブム僧院に戻ることが許され、僧院長としてチベット仏教の再興と寺院の再建に尽力した。中国政府と折り合いをはかりながら地方の災害対策、伝統医学の継承、初等教育の充実などに成果を挙げアムドやモンゴル地域で広く慕われた。が、1990年代後半、再び宗教活動への政治的介入が強まり、1998年米国への亡命を余儀なくされた。現在、米インディアナ州に「チベット・モンゴル仏教文化センター」を設立し、世界各地でモンゴル・チベット仏教文化の普及につとめている。