東洋文庫超域アジア部門現代中国研究班国際関係・文化グループ
2012年度第一回研究会のお知らせ
日 時:2012年5月12日(土)15時から17時
場 所:財団法人東洋文庫,講演室
報告者:青山治世氏(亜細亜大学専任講師)
論 題:『順天時報』『満日』主筆・金崎賢について──その経歴と活動を中心に──
概 要:
金崎賢(かなさきすぐる1878~1962)は、明治末期から1945年の敗戦に至るまで、『大阪朝日』『読売』『順天時報』『満日(満洲日報/満洲日日)』の編集長・主筆・論説委員長などを歴任した、文字どおり日・中を股にかけて活動したジャーナリストである。その一方で、東大法科出身(1905卒)の法学士であった金崎は、『外交時報』『北京週報』『支那』『東洋』『満蒙』『日本及日本人』『大亜細亜』等の雑誌にも多数の論説を発表するなど多彩な言論活動を展開し、『文国支那の建設』『国体明徴と日本憲法の解釈』などの著作も残している。特に、日本外務省の管理下で日本人が経営・編集していた北京の主要漢字紙『順天時報』の最後の主筆(1919~30)として同紙の社論を担い、中国側(主に国民党)のボイコットを受けて廃刊に至るまで同紙において中心的な役割を果たし、その後満洲にわたって『満日』の主筆・論説委員長として満洲国建国後の「王道政治」の宣揚に大きな役割を果たしたことは、戦前期(1920年代~30年代)の日中関係をジャーナリズムの観点から考える上できわめて重要な活動であったと思われる。しかし、金崎については日中関係史・中国メディア史の中でこれまでほとんど忘れられた存在となっており、橘樸や中江丑吉など当時はむしろ“主流”ではなかった人物や、橋川時雄など金崎の部下にあたる人物の研究のみ先行しているのが現状である。本報告では、戦前期の日中関係における言論空間を“復元”する一つの試みとして、戦後“忘れられた”金崎の経歴と活動内容をまず跡づけてみることにしたい。