北京から東北に高速で約300キロ,初めての北戴河は,夏の終わりのわびしさを漂わせつつ,それでもまだいくぶん観光客のにぎわいを見せていた。驚いたのは,ロシア人の多いこと。家族やカップルなど,海辺では4人に1人がロシア語を話しているという風情だった。商店の看板もほとんどが,中露文のバイリンガル。反して,日本の影は全くなく,日本人観光客にはいちども遭わなかった。なんだか時計の針が百二,三十年前に戻ったかのよう,とはさる中国人の言。1950年代にはソ連人専家がここで避暑を楽しんだのだろうが,山海関空港への直行便がもたらしたロシアの存在感は,遠く「坂の上の雲」──日露戦争時代へと想像の糸を繋げてくれる。(村田雄二郎)