『岩波講座哲学 15 変貌する哲学』(岩波書店,2009年7月,3200円+税)に,村田雄二郎「アジアからの問題提起──中国医学をめぐって」と題する一文を寄せました。以下,その最後のパラグラフ。
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費孝通は農村の貧困からの脱却のために,農民に識字教育を施す必要を認める。近代化にとって文字は必要不可欠な道具である。つまり,文字は下放しなければならないと言うことだ。そのための方策としてかれが最も重視するのが,農村の工業化,すなわち科学技術の農村移転である。しかし,「文字下郷」は同時にまた,都市から農村への一方的近代化になってはいけない。それでは,文字エリート=役人が農民を上から見る古い文化構造を再生産するだけだ。この一方行的で上下固定的な関係は,伝統社会に長期間にわたり埋め込まれているだけに,転換はきわめて困難である。しかし,この関係を変えずして中国の真の近代化は望めないというのもたしかである。これこそ費に『郷土中国』を執筆させた動機にほかならない。
このようにしてかれは,いったん「科学の近代」を受け入れた上で,非西洋世界にそれが持ち込まれる際の負の効果(農村疲弊の加速)を直視することで,地域や文化に根ざした土着的近代化(工業化)の方策を展望しようとするのである。これをより広く,近代における学知の転換と科学によるその(再)体系化という文脈に置き替えてみれば,その含意はより明らかになるだろう。
中医の近代的適応は,「民主と科学」という新たな学知の体系に異を唱えつつも,決してそれに対して敵対的にふるまうことはなかった。むしろ「科学の近代」に寄り添い,西洋医学と伴走しつつ,中西・古今の境界を絶えず横断し,同時にまた自己の陣地を拡大し,結果的に中国医学の主体性を更新することに半ば成功した。しかもその過程で,競争相手の西医とも手を携え,結果的に地域知・伝統知の境界や中医のアイデンティティをもぐずぐずにしてしまうような思考の運動をそなえていた。それこそ,老成した中医の陸広莘が,敵と友の峻別を説く毛沢東の「闘争哲学」を暗に揶揄しながら,害(敵)を利(友)に,毒を薬に転化すると指摘した,中国医学の極意とは言えまいか。