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2005年 03月 03日
「2005年元旦,バマコにて日中を想う」 村田 雄二郎
西アフリカはマリの首都,バマコ。第一印象は「赤い街」であった。 建物の屋根や壁が,朱に塗られているというわけではない。また,通りを行く人々の服装が赤色を多用しているというわけでもない。生活の中にあらわれる色使いという点からすれば,イスラーム圏(マリ人口の約8割がムスリム)にふさわしく,赤よりは緑が好まれるようだ。 赤いというのは,端的に土の色である。正確には褐色土というべきか,まるでボーキサイトを砕いて敷きつめたかのように,地表の赤さがきわだっている。さすがに,首都の幹線道はアスファルト舗装されてはいるが,ひとつ脇道に入れば,そこはもう埃っぽい「赤い街」の路地である。 埃といえば,ポイントGと地元で呼ばれる北郊の高台から,バマコ市内を一望したときのこと。快晴であるにもかかわらず,スモッグで覆われたかのように,遠景がぼんやりかすんで見える。 最初は,市内の渋滞がひどかったので,排気ガスかと思ったが,ガイドの説明では,これがサハラから吹いてくるハルマッタンといわれる砂塵風だとのこと。春にペキンを訪れる黄砂を想像してもらえればよいが,規模と環境への影響度はこちらのほうが上だろう。市内を流れるアフリカ有数の大河,ニジェール川の美しい碧(みどり)も台無しである。 一週間の旅のあいだ,乾期で天候には恵まれたものの,ハルマッタンが止むことはなく,ガイドブックに載っていた名物,ニジェール川の夕陽も,皮膜を隔てたかのように,砂塵の中で力無く沈んでいった。 * * * われわれの旅は,奴隷制の史跡調査と称して,バマコから内陸部に入り,世界遺産都市ジェンネ(月曜市で有名)やニジェール交易の要地モプティまでを,車で千数百キロ往復するというものであった。ニジェール川南岸にあるモプティは,サハラを南下する陸上の交易ルートとニジェールの河川ルートが出会う歴史的な港町だが,その活況は今日も衰えず,さまざまな物資の集散地として,市場はモノとヒトであふれかえっていた。 とくに東アジアからはるばる来た人間にとって眼についたのは,メイド・イン・チャイナの氾濫ぶりである。魔法瓶,洗面器,陶器,玩具,衣料から薬品など,中国からの日用雑貨が軒先にはあふれんばかりに並べられていた。電気屋では,中国製ラジカセもよく見かけた。両国の貿易額がどれくらいになるのか知らないが,マリの圧倒的な入超であることは疑いない。 聞けば,中国の存在感が増大しているのは,貿易だけではない。ガイドの話によれば,近年来,アフリカとの関係強化をめざす中国政府は,ODA(政府開発援助)においても,日本と競争相手になっているのだという。しかも,中国系企業は日本に比べて,受注額の単価が相対的に低いので,そちらにお金が流れる仕組みになっているらしい。 そういえば,大都市間を結ぶ国道はアスファルト舗装の立派なものであったし,車窓からは,周囲の泥づくりの民家とは不釣り合いなほど現代的な衛星放送の受信アンテナがそこかしこに建っていた。また,旅程の都合で見学はできなかったが,小学校建設や井戸掘りにおいても,日中両国の経済協力が,この国の生活・教育水準の向上に一役も二役も買っているという話を耳にした。 日中間のODA問題というと,とかくに「継続」か「卒業」かの生臭い話になるが,遠いアフリカの低開発国からは,巨大な経済規模をもつ援助供与国どうしのライバル関係という,また別の一面も見えてくる。 * * * 1991年の民主化以降,政情が比較的安定しているマリは,しかし,経済指標では世界のワースト・テンに数えられる貧困国である。一人あたりGNPがようやく二百ドルを超えたばかりと聞くと,改革・開放初期の中国を連想させるが,植民地主義の傷痕がいまだに深く残るとともに,砂漠化に代表される過酷な自然環境下に置かれたマリは,そもそも比較を可能にするような初発の条件が違いすぎる。教育にしても,医療・衛生にしても,先進国との溝は,絶望的なまでに深い。逆に,マリから中国を眺めてみると,市場にあふれる中国製品といい,巨額の開発援助といい,高度成長驀進中の中国がグローバル経済のまがうことなき勝者であることが,実感される。 ところで,1月19日『朝日新聞』朝刊の論説で,国際交流基金理事長の小倉和夫氏が,昨今の日中関係に触れて,「敗者の誇り」と「勝者の寛容」ということを述べている(「日中両国が色眼鏡外して」)。先の大戦の敗者である日本は,敗者であることを誇りに思っていいし,勝者である中国は敗者に対して寛容でなければならない,という趣旨である。国家や国民レベルで「誇り」を論じることには慎重でありたいが,日本国籍をもつ個人として,戦争/戦後責任を引き受けようとすれば,まがりなりにも国民的合意としてあった戦後の「平和と民主主義」の帰結をも含めて,敗者である日本の「誇り」は,たしかに一つの出発点(遺産ではなく)となりうると思う。他方,勝者の寛容を説くことは,発言者の立場(ポジション)に応じて,違った意味を帯びることだろう。とくに,それが「日本人」である場合はなおさらである。とはいえ,紹介したようなマリの経済事情にそくしていえば,中国は戦後世界の政治的勝者であったばかりでない。いままさに,グローバル経済の巨大な強者になりつつあるのだ。 このようにいうと,中国国内の南北問題,広がる階層間の所得格差,経済的腐敗(汚職)等々,山積する課題が指摘されよう。華やかな成功の影で,多くの矛盾や差別・貧困が再生産されているのだ,と。それもまた,中国の現実の一部には違いない。──アキレス腱を抱えた強者。 ここにこそ問題はある。中国が国家として,どのようなアイデンティティをもち,それを対外的に表現していくのか,まさに世紀の経略に関わる課題を,いやおうなく負わされるのが,「強者」の応答責任というものであろう。この点,自意識と外からのイメージにギャップがあるとすれば,これからの長い間,中国はその乖離に苦しむことになるのかもしれない。しかも,世論の台頭が国政を左右し始めている現在,責任は中央の指導者やテクノクラートのみに委ねられるものではなくなりつつある。かつは途上国かつは経済的勝者という現実の中で,「歴史」といかに折り合いをつけ,国民的合意を形成してゆくか,これはもはや日中関係というレベルの問題ではなく,宇宙船地球号の住人全体の帰趨に関わる一大選択でもある。 ハルマッタンに吹かれながら,マリの「赤い街」から見た日中両雄の姿は,あまりに遠く,またまぶしいものだった。 (『中国研究月報』2005年2月号,光陰似箭)
by jindaizhongguo
| 2005-03-03 10:30
| 課外活動
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