こういう公的文書が学内事務メールで送られてくること自体が驚きだが,中身を読んで二度びっくり。
「敬意表現とは,コミュニケーションにおいて,相互尊重の精神に基づき,相手や場面に配慮して使い分けている言葉遣いを意味する。それらは話し手が相手の人格や立場を尊重し,敬語や敬語以外の様々な表現から適切なものを自己表現として選択するものである。」
私はずっと,日本語の敬語は「自己表現」を抑えるための巧妙な一つの文化装置,みんなが思考を停止して安心するための「型」(皇室敬語を想起せよ!)だと思っていたので,いきなりself expression などといわれ混乱した。そもそも敬語のどこに「人格の尊重」の精神などあったのだろうか。少し深読みして,日本語に「革命」を起こそうとしてるのかと一瞬思ったほどだが,どうもそれほどの造反気概もないらしい。竹内好が生きていたら,西洋を無理に接ぎ木する中途半端な近代日本おめでたさ・・・と罵っていることだろう。10年ぐらい前の「簡略日本語」の提案(誰が覚えていますか?)といい,全く国家の言語管理の所業は・・・。(村田雄二郎)