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2005年 12月 09日
愛知大学COE:ISSC国際シンポジウム「“中国学”方法論の構築をめざして」(2005年12月8-9日,北京)における基調講演原稿の結論部
********************* 「アジア論再考──竹内好から海洋アジア論まで」(村田雄二郎) 4,アジア認識の交錯,あるいは同床異夢? ところで,戦後一貫して多様なアジア論を展開してきた日本に比して,中国,台湾や韓国では,アジア論そのものが希薄であった。そのこと自体,考究に値する興味深い問題である。なぜ日本のみが,「アジアと日本」「アジアのなかの日本」といったテーマで,積極的にアジア像を立ち上げようとしてきたのか。これは,戦争期につながる日本特有の「アジアへの帝国的欲望」(子安宣邦)に発する現象なのだろうか。それとも,たんにアジアに関する近代知の蓄積の厚薄によるものなのか。 ここで,一つ興味深いのは,1990年代以降,韓国や中国の論者の中にもアジアに関する論述が出現し,賛否の論議を呼び起こすなど,日本のみがアジア論の担い手となる時代は確実に過去のものとなりつつあることである。中国ではたとえば,孫歌『アジアを語ることのジレンマ』が日本語で刊行されたことが挙げられる 。この書を通じて,われわれはアジア認識のあり方をめぐって,まさしく国境を越えた知の交流空間が育まれつつある現象が見て取れるはずだ。それは同時にまた,日本を自己規定してきたアジア像(論)の特質を逆照射することにもなるだろう。ひょっとしたら,従来見落とされがちであった日本のアジア論の限界も,そこから見えてくるかもしれない。韓国の河世鳳も指摘するように,国家建設を課題とするアジアの地域や国家にとって,「民族と国家の相対化,ネットワーク,重複する域圏などの分析枠組みを選択したのは,結局日本の認識であり,アジアの現実と離れているかもしれない」 からだ*。 韓国でいち早く東アジア論を提起した一人である白永瑞は,一国史を超えるアジア研究の視角の重要性を指摘しつつも,東アジアという概念は,文明・文化の共通性や地域的隣接性によって定義されるのではなく,「知的実験の場」として未来に投企されるべきものだと述べている **。私の読みに間違いがなければ,こうした理解は,アジアを固定した実体として見るのではなく,多様な主体の参入や交錯を可能にする「場」として考えようとする点で,かつての竹内好の「方法としてのアジア」を想起させるものである。地域概念を歴史実態や文化価値として扱うのではなく,現実批判の「方法」として提起する点,まさしく「方法としての東アジア」論といっていいだろう。 しかし,白永瑞も示唆しているように,韓国の東アジア論には,冷戦時代の思考産物であった竹内の論とは隔たる部分もある。19世紀中葉以来,日本,中国,韓国は,近代の国家と「文明」の連鎖的摂取を進めながらも,爾後の日本の帝国的膨張と植民地支配にともない,戦争と革命,侵略と抵抗が軋みあう複雑で非対称的な関係を築いてきた。さらに朝鮮半島や中台両岸では,冷戦による国家の分断,権威主義的強権政治の苦しみを嘗め尽くしてきた。言い換えれば,この地域では,未だ解決できていない固有の歴史問題を抱えるとともに,20世紀「世界史」の同時代的経験者として,普遍に開かれた歴史を積み重ねてきたのである。反目と連携,排除と同化の機制がはたらく中で,固有性と普遍性を兼ねそなえつつ,乱反射鏡のごとき状況を呈してきたのが,東アジアの近代という時代であろう。そうした体験を共有とは行かないまでも,分有するための国境を越えた知的思考実験への提言として,白の東アジア論は読むことができる。中国・台湾・韓国などから発せられる多様なアジア論との交錯の中で,日本のアジア・イメージ,東アジア認識に新たな展開が期待される所以である。 では,中国や台湾にとって,竹内や白永瑞の「方法としての(東)アジア」論はどのような意味をもつのだろうか。この点について,近代日本のアジア論について論じた孫歌は,先に挙げた『アジアを語ることのジレンマ』の中で,台湾と大陸の知識界における「アジア論」への関心の温度差を指摘している。それによれば,大陸という歴史的に形成された大国において,東アジアはその地域概念の一部をあらわすに過ぎず,東アジア論が中国人のアイデンティティの根幹に関わる思想課題となることはほとんどなかった,つまり大陸においては,「中国」すなわちアジアであり,「中国とアジア」という形式で,アジアを外部化する契機は,地政学的にも歴史文化的にも微弱であった,という。 たしかに,現代中国の知識界において,欧米への他者意識は「中と外」「中と西」「東と西」というかたちで,近代以降再生産され,半ば「無意識の構造」と化しているが,アジア(亜州)の多元性や複数性を世界認識の問題として語る声は微弱である。周作人や戴季陶などの日本論,西洋・中国・インドの三極から成る文化論を提示した梁漱溟の名が思いつくぐらいで,それもどちらかといえば「周辺」化された知の形態であった。たしかに,葛兆光が的確に指摘するように,近代中国でアジアをポジティブに語った知識人──梁啓超,孫文,李大釗,戴季陶・周作人らは,いずれも日本への留学・亡命経験のある知識人であり,つまりは対日関係のポジションでアジアを語ったに過ぎなかった*** 。エリートの内部においても,民衆レベルでも,「アジア主義」は思想として,終始周辺的存在であった。 アジアが積極的に語られはじめた現在,そうであればこそ,「アジア」という概念の歴史性や負荷された価値を改めて問うてみる必要があろう。目前の解決困難な「歴史認識」問題を超克するためにも,「アジア」認識をめぐる隣人たちの「同床異夢」を自覚しておくことは,政治的にもきわめて重要な課題である。 *河世鳳「戦後日本のアジア的視座を読む──アジアによるアジア像の時代をむかえて」,『思想』899号,1999年5月,136頁。 **白永瑞「東アジア論──韓国から見たアジア」(文珍瑛訳),『神奈川大学評論』第39号,2001年7月。同「世紀之交再思東亜」,『読書』1999年8月号。 ***葛兆光『思想史研究課堂講録』生活・読書・新知三聯書店,2005年。とくに第十四講「思想史研究方法的変化──以日本学者研究日本近代史為先例」(原載は「誰的思想史?為誰写的思想史?」,『中国社会科学』2004年第3期)参照。
by jindaizhongguo
| 2005-12-09 14:32
| ゼミ情報
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