2013年度第1回研究会のお知らせ
日 時 2013年4月27日(土) 17時~19時
場 所 (財)東洋文庫 7階会議室(1)
報告者 加藤 公一 (岐阜大学地域科学部教員)
論 題 1950年代中国とアメリカ社会──「チャイナ・ロビー」を中心に
概 要
1950年の朝鮮戦争勃発を契機として、「冷戦」の激化にともない、アメリカ社会において「マッカーシィズム」という名の「赤狩り」が猖獗を極めた。その嵐のなかで、米国政府から多くのアジア問題専門家が追われることになった。その帰結として、米国の政策決定過程において、そうした専門的知識を欠くことになり、米国のアジア政策は反共産主義イデオロギーで硬直化した。これがベトナム戦争の泥沼に陥ることにつながったと、ベトナム戦争期の国防長官は回顧している。
この「赤狩り」現象で一躍名を馳せた上院議員マッカーシーは、実はその年の選挙で再選が危ぶまれる程度の実力しかなく、中国はもとよりアジアに関してほとんど何の知識もない凡庸な政治家だった。その彼に資料を提供したのが、「チャイナ・ロビー」と呼ばれる一群の人々である。
「チャイナ・ロビー」とは、特定の組織への所属などの要件があるわけではなく、もともとは、日中戦争期から米国の対中支援を獲得するために活動してきた人々を中心とした緩やかなネットワークだった。そのなかには、宋子文などを通じて、中華民国国民政府と直接関係している者もいたし、イデオロギー的共感や経済的利害などさまざまな関心から私的に活動する者もいた。また、活動の舞台も、『タイム』誌などのジャーナリズムや、連邦議会など多岐にわたっていた。彼らが連邦議会で影響力を持っていたために、中華人民共和国の成立後、ただちに承認した英国とは対照的に、米国は、長きにわたって国交を樹立することなく、その影響は日本にまで及ぶことになった。
本報告では、「チャイナ・ロビー」がどういう人々から構成され、どのような活動をしていたのか、その実態を実証的に分析したい。また、それとともに、「チャイナ・ロビー」に関して、国民政府との関係や、中国共産党側がどのように認識していたかについても、明らかにできればと考えている。
連絡先 村田雄二郎(murata@ask.c.u-tokyo.ac.jp)